代償を払うのはこの世の定めだフェスティバルの反省会

2018年11月04日

全うする、とはなんぞや

言い方が母校の中学校の校長先生っぽいですが、

わかりにくすぎるネタでした。


前回やることがいっぱいでどうのこうのと話をしましたが、

指揮者としてそのキャリアを全うするつもりです、という言葉を考えた時に、

この「全うする」というのが何をもって全うなのかと考えてしまいました(笑)

巷でよく耳にするのは「天寿を全うする」ですが、

果たして「天寿」とは何を基準にしているのか?

勤め先の社長(現・会長)の言葉を借りると

「どういった形であろうと、亡くなったらそれがその人の寿命である」

―――てことは全ての人が天寿を全うしてる、とも考えられます。

屁理屈っぽいですが(笑)

俗に短すぎる、長すぎる(←そういわれる人はあまりいませんが)と言われますが、

本来の寿命であると考えればそこにたらればもなく、元々そういうことだったと。

若干哲学的というか、宗教的な観念になってしまいますので、この話題はこのへんで…。


上記の感覚でいくと、指揮者として全うするのはどのタイミングかと

色々考えてしまいます。

おそらく現状のペースでいくと、自分の最期に

「やりたい曲とかすべてやり切った!わが指揮者生涯に一片の悔いなし!」(ラ○ウ)

とはならないはずです。

少なくとも団員数が減ることが見えている我々男声合唱界で、

果たしていつまで活動を続けられるのか、考えさせられる瞬間が多々あります。

明日には活動できなくなるかもしれません。

うっかり団員が増えまくるかもしれません。

いやそれは無いな(笑)

とりあえず頭の中に積まれた課題を見つめて途方に暮れ、

若干イラついている病み(闇)将軍なのでした(笑)

aichimanner at 10:14│Comments(0)たわごと 

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